暴落のメモ


  • 「ブラックマンデーの様な、⼜⽇経39000円からのバブル崩壊の様な”暴落”は、いわば
    ⼀⽅⽅向の暴落なんていう代物ではなく、暴落と暴騰を⽇替わりで繰り返しながら株価が急落して⾏く、”ダッチロール”の墜落の様な”暴落”である事を 是⾮理解しておいて下さい。
    ネット系の個⼈投資家は、逆に⾏け⾏けドンドンの横並び体質がありますので、⼀転暴落が起こったら、過去の暴落以上に売りが売りを呼んで、サーバーダウン等も相まって、過去の暴悪以上の凄まじい想像以上の暴落になる」
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    • 2******* 87年⽶国発のブラックマンデー ⽇本の東京市場も暴落したとき、証券会社の株ボードは、ほとんどが売り気配で値が付いていませんでしたね。それはそれで、⼀種壮観な情景でしたね。⼀部の⼈は、今⽇は仕事にならないと⾔って、株ボードの前で記念写真を撮ったりしまし たよ。⼀部、ほんの数銘柄だけが値を付けたと記憶してます。⼀番最初に値を付けたのが、「帝國⽯油」でした

      バブル崩壊89年12⽉ 39000円弱に登り詰める過程での数週間で、「何かおかしいなぁ」と、クイックの端末を⾒ていてそう思ってました。 ⽇経平均株価と先物だけが上昇して⾏くんですが、個々の銘柄はそれほど上昇して⾏かず、むしろ下げてる銘柄が多かったですから。原因といえば、買い過ぎた事による株価の⾃⼰崩壊という事なのでしょうが・・・まあ。直接の原因といえば、当時の⽇銀三重野総裁による ”短期⾦利の⾼め誘導”による、株価を冷やす⾦利政策だった。証券会社や株式評論家等が、どんどん強気の上昇予想を⾔い出して 、皆が皆、総楽観になった時は”要注意”だと思って警戒すべきでしょうね。

      あの当時でも、⽇経平均が30000円を超えたあたりから、そういう⼀部の専⾨家といわれる⼈々が、⽇経平均「10万円」説をぶち上げていましたから。暴落する時はあくまで”暴落”であって、それは⼀気に急落する、信⽤売りも仕掛けられないほどの暴落なんです。 ⾔ってみれば、急勾配の坂を下る様な個⼈が信⽤売りでコントロール出来る様な代物ではなく、⾜元に突然⼤きな深い⽳が開いて、真下に真っ逆さまに⽳の中に落下する様な”暴落”なんです。だから、暴落時に信⽤売りを仕掛けても、何しろ値が全然付かないのですから、信⽤売りも約定する事はあり得ません。それほどの恐ろしいものなんです。暴落の怖いところは、下がるだけではなく、その翌⽇は逆に値ごろ感を持った投資家が⼀挙に買いに殺到して反転暴騰して、今度は買いを⼊れても値が付かず、買い約定も出来ない・・・そんな状況を総じて”暴落”というのです。

      仮に暴落時に信⽤売りを仕掛けて”運良く”約定しても、その翌⽇は、逆に⼀気に全株全⾯暴騰し、⽇経平均で何千円も踏み上げられるのです。 そんな状況でも信⽤売りを仕掛けるのは、余程の”勇者”か余程の”資産家”か余程の”素⼈”なんでしょう。 ”単なる信⽤売り”のポジションとは別に、”裁定取引(アービトラージ)”による売り誘導・売り仕掛けというのはあるんですよ。 現物と先物との裁定、株式と国債との裁定、株式と商品相場との裁定・・・・ こういう裁定取引による利益の確保は、⽬的を持って売り仕掛けをする事によって、あえ て暴落を仕掛ける・呼び込む・・・そういう⼿法もあるんです。

      89年の⽇経の3900 0円からの暴落の発端は、この外国証券筋による裁定取引による暴落が引き⾦になりまし たね。 郵貯の利率が7〜8%になってるという事は、公定歩合の何度もの切り上げ、短期⾦利の ⾼め誘導政策が⽇銀によって実⾏されてるという事に他ならないから、そういう時期に は、⽇経株価も 株から債券 へのシフトが進んでいて、つまり⽇経平均株価も全体的に 上げの最終局⾯、或いは下降局⾯にすでに⼊りつつあるという事を意味します。 だから、そういう局⾯では「指をくわえてみてる」だけの⽅が、投資姿勢の態度としては 賢明なのかもしれませんね。 私なら、それ程の⾦利が⾼くなった時点で、確定利回りの 債券運⽤に、預貯⾦運⽤に運⽤のポートフォリオのシフトを考えますね。 ちなみに、過去のバブル破裂直前の10年物定額貯⾦、5年利付き債券の利率は年率で7 〜8%程度の⾼⾦利でした。個⼈年⾦の利回りも、最⾼の年率5..5%程度でしたか ら。 ITバブル相場(99年のバ
  • ITバブル崩壊
    オレの場合だけどさ、98年ごろからNet銘柄中⼼で参加して、バカみたいに利益が上がってたよ。
    始めは200マンくらいで資本投下したんだけれど、最後の⽅は毎⽇のフォリオの増減が半端じゃない。
    連⽇500万増えて、そのあと連⽇700万減って・・なんてことになってた。少なくとも2000年ごろにはデイトレードは珍しく無かったよ。SBなんか⼀⽇のうちにS⾼→S安→S⾼なんてあって、S⾼で売って、S安買戻しとかできることもあったし。当時はオールドエコノミーは全く相⼿にされていなかったね。なぜといえば、少なくともオレは当時、まだソフトランディングを⽬指して、構造改⾰が全く進まないような状況でオールドに投資する気にはなれなかった。皆もそう感じていたから、ITバブルと⾔われるように集中したと思う。崩壊からどのように逃げたか、また逃げ遅れたかについて聞きたい︖当時、崩壊が実際の崩壊が起こる前、確か00年の末ごろに⼤き⽬の押し⽬が来たんだよ。
    オレは焦って、半分を現⾦化した。この利益がオレの利益だよ。オレが焦った理由はあまりにもNETが⾼くなりすぎていること、まだ伸びる可能性があるし、おそらくそうだと思うが、充分にそれまでの利益確定を我慢してたから、まず、確定したわけです。
    そのとき、オレは証券会社に電話して“○○と××を半分成り⾏きで売ってくれ” って⾔ったんだよ。
    携帯でその⽇に前⽇の押し⽬からさらに下がってるのを確認したからなんだけれど、その担当者はいわば、知⼈みたいな⼈なんだけれど“今売ったら、買いもどせなくなるかもしれないよ・・今はまたStop,買い気配に張り付いてる”って⾔われたのを覚えてる。でも、売った。
    その後はまたそれから30-40%程度の上昇はあったんだよ。でも、その後、01年の年明けに強烈な押し⽬が来た。終わったと思った。理由は
    ①当時の東証の時価総額がバブル時の8割に達していたこと、どう考えてもあの異常なというか、世界中が⽇本の未来にとてつもない成功を予想していた時代、また⽇本⼈もそれを信じていた時代とほぼ同じ時価総額がつくわけがない。
    ②SBの時価総額がトヨタに迫っていた。これもSBがいかに⽇本のNETに⾦鉱を掘り当てていたとしても、まだ不確定要素が多すぎる企業の株価としては例え、幻想代込みとしても許容範囲を超えている。
    と思ったわけです。この時点の押し⽬で⽇本のNETバブルはピークアウトがかなり明確に感じられました。でも、まだ上がったんだよ。
    続き、ではなぜ、その後も伸びたか。
    これはオレは⾃分の思い込みではないと信じているんだけれど、NASDAQのせいなんですわw。
    NETバブル⾃体は⽇本単体でも、つまり、アメリカと⽇本のNET普及にあまり差が無かったとしても起こっていたでしょう。
    でも、実際はそうではなく、好景気かつNetが爆発的に成⻑を始めたアメリカの影響を強く受けたために、⽇本のNetバブルは上昇率はもちろん、その後のNetの普及に合わせてもう少し時間をかけて成⻑すべきところが⼀気に急上昇をしたわけですが・・
    そのスピードと規模に恐れをなし、⼀旦ピークアウトしたはずのNET関連株は、その後、まだ続いたNASDAQの急騰に無理に引きずられる形でさらに⼀段⾼のピークを形成しました。
    ボクが⾒始めた頃のナス指数は2000近辺でしたが急騰に次ぐ急騰で、これは僕の⾃慢になるけれど、3500を越えたあたりから、ナスは5000を叩くんじゃないか・・と漠然と考
    えていました。
    その後はほぼ同時期にナスの下げ転換、光の重⽥の⾶ばし、CSKの理由は忘れたなんかの悪材料で⼀気に下げに転じました。
    で、ここからが勝負の時だったのです。
    僕は急落の初期には押し⽬買いが⼊って、もう少し戻したら売ろうとか余裕を持ってました。
    でも、押し⽬買いは殆ど⼊らなかったのです。
    始めに充分に利益を確定しているという慢⼼があったわけですが・・
    それはまだいい、かなり下げてくるとそれまでの⾼値を知っているだけに、下がることを充分予想しながら、めんどくさくなって放置したわけでwそのために明らかに下げ基調を確認してからでも取れたであろう利益を吹きとばしてしまいました。
    ゆえに以前の確定分の利益とほぼ同額の利益を取れるチャンスを逃しました。
    でも、僕はまだいいほうで、それは⽐較的早い段階でNET関連を買っていたこと、⼀部確定をしていたからですが・・
    逆にその急上昇につられて、⽐較的遅くにNETに買いを⼊れ始めた⼈達はそれでも急上昇する相場で利益が出るので、ポジションを精⼀杯膨らませて、直後に下げに転じたわけで・・
    売ろうにも売れずに悲惨なことになってました。
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